06


カラリとグラスに入れられた氷が音を立てる。
日向の弁に一理あると考えたのか、唐澤は疑念を抱きながらも言葉を呑んだ。

「…分かりました。認めましょう」

「上総、お前は?」

話を振られた上総は一度俺を見て、唐澤とは違い思案しながら口を開く。

「正直難しい。会長の目を疑ってるわけじゃないが、彼も独自に組織を持っているだろう?」

組織と言われて俺は鴉を思い浮かべた。だが、それがどうしたと言うのか。俺は続く上総の言葉を待つ。

「彼がただの一般人だというなら俺もすんなり日向に賛同出来た。けれどそうじゃない。彼には力がある。それは少し危険なことではないか」

見据えてくる上総を見返し、微かに眉を動かした唐澤を見る。同席していた周防は組織と上総が口にしたあたりで神妙な顔付きになったが口を挟むことはない。

「…なるほどな」

こんなにも二人が何を警戒していたのか俺は瞬時に悟った。

ポツリと呟きを落とし、日向へ目を向ければ、日向は何やら言いたそうに口を開きかけたが俺はそれを制し、上総と唐澤に視線を戻した。

「つまりアンタらは俺が寝首をかくと思ってるわけだ」

誰の…とは言わないが。

じわりと消えることなく未だ胸の奥底に燻る闇が顔を覗かせる。ゆらゆらと揺れる心の天秤が軋む様な音を立てて傾く。
結局此処に来てもまたかと、人と関わることで常に付き纏い続ける疑心に俺は冷めた眼差しで唇に酷薄な笑みを形作った。

「俺が鴉を動かして」

「カラスっ!?」

ガタンといきなり、それまで神妙な面持ちで話を聞いていた周防が声を上げ立ち上がる。
不躾なほどマジマジと注がれた視線を無視し、俺は左手を顎に添えた。

「そうだな、方法は幾らでも考えられる。それこそ素人でも、万が一にでもその可能性はあるかも知れないな」

警戒を強めた唐澤と押し黙った上総、物言いたげな日向を順に眺め俺はクツリと肩を震わせた。

「なんなら…試してみるか?」

言いながら、浅く腰掛けた椅子から立ち上がろうとして俺は隣から伸びてきた手に右肩を押さえられる。

「やめておけ…、上総、唐澤。その気になればコイツは本気でやりかねない」

「放せ、猛」

怪我をしている方の肩を押さえられ、無理に振り払えない。ままならぬ状態に苛立ちを覚え、俺は猛の横顔を睨み付けた。

「お前もだ拓磨。数時間前に俺が言った言葉をもう忘れたのか」

すると猛から静謐さを湛えた眼差しを返される。
ひたりと絡んだ眼差しはまるで心の奥底に澱む闇を見透かすかのようで。
胸の奥から溢れだしそうになっていた闇がその目を嫌って急速に力を失っていく。

傾いた天秤が釣り合いを取ろうとするようにゆらゆらと揺れ、気付かぬ内に無くしていた冷静さを俺は取り戻した。

「…忘れるわけねぇだろ」

立ち上がろうとしていた身体から力を抜き椅子に背を預ければ、肩を押さえていた手が離される。
俺から視線を外した猛は日向に目線だけで何かを告げた。

「会長には既に報告済みだけど、二人にも聞いておいて欲しいことがある」

目配せで猛の指示を受けた日向が改まって話を切り出す。
突然の展開に当然上総と唐澤は訝し気な目を日向に向けた。

「それは今することなのか?」

上総の疑問に日向は軽く頷き、懐から一通の白い封筒を取り出す。糊付けされていない封を開け、日向は中から二枚の写真を取り出した。

ちょうど上総と唐澤の間で止まるようテーブルの上を滑らされた写真。そこに収められていた光景に俺は目を見開き、鋭く細めた双眸で日向を睨み付けた。

「…大和に会ったのか」

口から出た声が自然と低いものになる。

「そう睨まなくても大和くんには会ってない。これは遠くから撮影したものだ」

写真に写っていたものは夜の街…、だけならまだマシだった。そこには大和の姿と鴉の実動部隊が写されている。

「少し苦労したよ。大和くんは勘が鋭いから、あの場で見付かりでもしたら流石の俺でも命が危ない」

二枚目の写真には鴉の掃除痕が…、一つのチームが壊滅させられた場面が切り取られていた。
これは南側の掃討風景の一部だろう。

上総と唐澤が写真に視線を落としたのを確認し、日向は話を戻して言う。

「鴉をあまり軽く見ない方が良い。それが鴉の実力の一端だ」

「これが…」

「あぁ、組織としてきちんと機能してる。ただの遊びで作られた集団と考えるのはそれこそ危険だ」

確かに鴉は始め、遊びで作られたと聞いたことがある。だが、総長の代が代わるごとにチームも増え何代か前の総長がきちんとした統制をとるようになった。

総長、副総長の下に鴉本隊。
鴉の下に東西南北を見張る役目を持つチームを四チーム配置し、各方面の筆頭とした。更にその下に大なり小なり力を持ったチームが平等に並び、鴉本隊から切り離した所に情報部隊が存在する。
公に知られてはいないが、表に顔を出さない部隊も密かに存在していた。

「こんな言い方すると拓磨くんは不愉快かもしれないけど、引き入れておいて損はないと思う」

損得感情で話をつけようとする日向に眉を寄せ、釘を刺す。

「先に言っておくが俺はアンタらの為に鴉を動かす気はねぇからな」

「もちろん、それで十分だ。手元に置いておくだけで素人から力を借りようとはこっちもまったく思ってない」

ふむと視界の隅で上総が思案するように瞼を伏せる。いい加減周防も落ち着いたのかわざとらしく咳払いをしてから席に着いた。

「……分かった」

やがて上総からも条件付きで了承の言葉が上がる。

「拓磨くんが会長に対しその力を使用しないと約束してくれるなら俺も日向の意見に賛同しよう」

向けられた真摯な眼差しに俺は口許だけで笑った。

「俺が猛に害をなしたところで俺には何の特にもならねぇし、…俺は無駄なことをするつもりはない」

逆に仕掛けられればやり返すことはあるかも知れないが。今のところその予定はない。

日向、唐澤、上総の三幹部により条件付きではあるが猛の元にいることを俺は認められたらしかった。

だが所詮は口約束。俺はそう重くは捉えなかった。本音をいえばどうでも良かったのだ。

その後、俺は必要無いと思ったが正式に三人から挨拶と新たな人物の紹介をされた。

眼鏡の下から向けられる眼差しは涼やかというより常に冷たさを感じさせる。唐澤 貢(ミツグ)、28歳。主に猛の秘書みたいな事をしているらしい。

また、大学生に混じっても違和感無く溶け込め、どこか掴み所のなさを感じさせ俺を苛立たせるのが得意な男が日向 政秋(マサアキ)。27歳。

そして、一見穏やかそうに見えて鋭い観察眼と思慮深さを内に秘めているのが上総 和弘(カズヒロ)。歳は日向と同じく27歳。

「三輪の紹介はいらないよな?拓磨くん名刺貰ってたし」

「あぁ」

三輪は氷堂組の専属医師らしく、初めて会った時に病院名の入った名刺を渡されていた。

フルネームは三輪 丈一郎(ジョウイチロウ)
年齢は知らないがだいたい三人と同じだろう。

日向が仕切るように話を続け、最後に周防を紹介してくる。

「ソイツは周防 直紀。歳は23だから拓磨くんに一番近い年齢か」

紹介された周防は椅子から立ち上がると俺に向かってガバリと頭を下げた。

「周防 直紀です。宜しくお願いします」

「………」

どういうことかと視線で問えば日向が肩を竦めて答える。

「簡単に言えばこれから拓磨くんに周防が付く。俺達も任された仕事があるからさ」

「それなら付けなければいい」

「そう言うワケにもいかない事情があるって、説明しなくても分かるよな?」

「………」

「周防は俺の下で働いてる有能な人材で信用もできる。拓磨くんの邪魔にはならないと思う。それにこればっかりは譲れないから」

当初の護衛の話を蒸し返すようで、俺は無駄な議論を避ける為押し黙ったまま仕方なく受け入れた。
カラリと目の前に置かれていたグラスの中の氷が手をつけられずに溶ける。

「話は纏まったな」

周防は立ったままで、猛はそんな周防を気にすることもなく口を開いた。

「そうですね。あとは家の問題がありますがそちらは…」

猛の言葉に頷き返しながら日向が言った台詞は猛自身が遮る。

「もう暫くは良い。その件は保留にしておけ」

「分かりました」

さらりと流された話は俺には分からない内容だった。



猛が席を立つ。倣うように唐澤と上総が立ち上がり、日向はテーブルの上に出した写真に手を伸ばし封筒にしまう。
そして、すぃと見下ろしてきた猛に俺も椅子から腰を上げた。

「唐澤、この後の予定は?」

「一件だけ。夜に外せない会合があります。こちらは会長ご自身に出席して頂かねばなりません」

「そうか。時間になったらマンションまで誰か迎えに寄越せ。帰るぞ拓磨」

「…あぁ」

話の流れから言って猛はその会合とやらの時間までマンションに居るつもりなのだろう。猛の自宅なので居るつもりという表現もおかしなことだが。

先立って周防が慣れた様子で会議室のドアを開ける。俺は猛の後を追う前に日向へと近付いた。

「拓磨くん?」

「その封筒渡せよ。媒体は別にあるんだろうが、アンタ等に持ってられるのは気分が悪い」

特に大和にはこれ以上迷惑はかけられない。それも隠し撮りしたような写真、本人が知ったら不愉快なことこの上ないだろう。

「確かに媒体は別にあるから構わないけど」

差し出した手の上に乗せられた封筒の中身を確認し、俺は封筒を右手に猛の後を追い会議室を後にした。

バタンと閉まったドアに、立ち上がっていた唐澤は椅子に座り直し、上総は不要になったグラスを片付け始める。
開きっぱなしにしていたノートパソコンに触れて唐澤が静かに口を開いた。

「言葉通り徹底していますね」

「あぁ、全てを信用したわけじゃないって奴?」

背凭れを軋ませ後頭部で手を組んだ日向が言葉を添える。

「用心深いと言い換えれば聞こえはいいが、あれで本当に大丈夫なのか?」

手の付けられなかったグラスを回収し、上総は日向を見て言う。
その上総と視線を合わせた日向は肩を竦め、ここ暫くの二人の様子を思い返して口を開いた。

「大丈夫じゃなきゃ困るな。けど、拓磨くんに関しちゃしょうがないだろ。疑いたくなる気持ちも分からなくはない」

なんせ、気付いた時には血の繋がりのある親戚連中の中でたらい回しにされていてその待遇は酷かったと報告が上がっている。あげく手に入れた家族も仲間の裏切りで失い、最後にはここへ。親戚に売られてきた。

「その中で唯一あった救いが後藤 志郎だ」

片付ける手を止め上総が眉をひそめて呟く。

「だからといって可哀想がってても駄目でしょう。種類は違えど似たような境遇の人間は他にもいます」

「ま、そりゃ唐澤の言う通りだ。ただ俺の希望としては会長が拓磨くんの信用を得て、会長が拓磨くんの新しい家族になってやればいいんじゃねぇかと思ってる」

「会長が、ですか?」

「そ。会長はいずれ拓磨くんを仮住まいのマンションから本宅に移そうと考えてる」

「あぁ、それでさっき家がどうのこうの言ってたんだな」

驚いた様子の唐澤と上総に日向はそういうこと、と軽く頷き返した。



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